「見せ方」に惑わされず本質を見る
演武の際、受けが悶絶するような技と、ぱっと見理解できない高度な技、どちらが多くの人にウケるでしょうか。
もちろん前者の方がウケるでしょう。技を使って痛がらせることは簡単に出来ますが、それは技の本質ではありません。しかし、人々にウケるのは「派手さ」なのです。人々のほとんどは技の良しあしが分からないので、とりあえず悶絶している方が目立ってしまうのです。
極意というものは実は隠されていることが多い。また、はたから見ても理解しがたく、説明を聞きながらでも理解しがたいような極意もあります。それらはその道を鍛錬したものにしか理解や会得できないものです。そういったメタ情報にこそ価値があるのだと思います。しかし多くの人にとっては兵法や兵器に価値を見出せない場合が多い為、忍術をはじめとする古武術は途絶えて行ったのでしょう。「兵は不祥の器」というようにこれが正しい世の中だと思います。その代わりに見世物が増えてきた。
この満ち足りた世の中ではどんな分野も広告宣伝などのマーケティングによってパイの奪い合いが行われています。
「見せ方」に惑わされないように本質を見抜く眼が重要だと思う今日この頃です。