無心という事 人は意思で動いておらず意思は動作の邪魔をする
人は意思で動いていない
アメリカの生理学者、医師のベンジャミン・リベットは、我々が何かをしようとする意思の0.5秒前に運動準備電位という脳波を出していることを実験結果として報告しています。この実験により、動作は無意識的な過程が開始させるものであり、自由意志は動作の開始の役割を果たしていないということが示唆されました。
つまり脳は、風に揺れる柳のように、外から来るあらゆる情報等によってただ反応しているだけであり、その反応を我々は「意思」として錯覚しているということです。
では全て脳が無意識的に操っているだけで自由意志は存在しないのかというとそうでもなく、自由意志による自発的な行動はできないが、行動する0.1~0.15秒前であれば自分の意思によって行動を中止することができるとリベットは主張しています。
人は常に無意識による動作と、それを中止する意識を拮抗させながら生活していると考えられます。
動作の前にノンバーバルなサインが出ている
合気道の開祖である植芝盛平は相手が攻撃をする前に光が見えると言ったそうですが、それは運動準備電位を何らかの方法で察知する能力があったのではないかと思います。我々のような一般人は脳波を探知することはできませんが、人は動作の直前に無意識に瞳孔の開きや筋肉の緊張など何かしらのサインを出す場合があり、それを察知することは可能です。
意思は動作の邪魔をする
動作の開始は無意識に行われるものであり、意識の仕事は「動作を中止すること」である。
というと、敵との立ち会の際に、こちらが打とうとして打つ、受けようとして受けるというのは意思を介在させている状態なので、動作が0.5秒遅れます。
そもそも無意識に動作を繰り出すことができるのだから、打とう、受けようと思う必要すらない。
無意識に動かす事がはや勝つためのヒントだと思います。ブルースリーの言う「Don’t think feel」ということでしょう。無意識レベルで正確な技が出せるように日頃の鍛錬で技を体にしみこませる必要があります。
映画ラストサムライで興味深いシーンがあります。主人公が侍達との稽古で苦戦をしている時に「No mind」とアドバイスを受ける。当初は意味が分からなかったが、稽古をしているうちにその意味を理解し、覚醒するというシーンです。
当然映画はフィクションですが、本当の侍たちも座禅を組んで瞑想をしていたそうです。無心は武道において極意に違いありません。
察知されない動作
甲野善紀先生の「飛観法」や、中達也先生の「虚実」や、宮本武蔵の「無念無想の打ち」などは、意識を捨てて空なる心によって察知されない動作を行うというもので、時代やバックグラウンドが違う武道家がそれぞれ同じような結論に至る所を見ると意識の世界は興味深いと思いました。
甲野善紀先生の飛観法の説明については次の動画で詳細に解説しています。リベットの実験を知った後に見ると腑に落ちます。
中達也先生の虚実
宮本武蔵「五輪の書」
宮本武蔵筆『兵法三十五箇条』再現テクスト – 日体大リポジトリ
気を操る
合気道の稽古では気を出せと教わりますが、闇雲に出せばいいわけではないようです。気は相手に読まれるので毎度気を出していたら出鼻をくじかれてしまう。
しかし、相手は気が読めるという点を利用した戦い方もあるのですが鍛錬中です。